あの世はある。天国地獄はある。無知な「終活」にならないために。

「心の状態」と「終活」

ほんとうの「終活」って?

スピリチュアルな側面
さて、少子高齢化の進む現代、巷で流行るものと言えば、「終活」である。
確かに、人生の終わりを迎えるに当たって、早めに手を打っておくというのは大事だ。突然に逝かれて、遺された家族がてんやわんや、なんていう図式を避けるべく、葬儀のこと、財産のこと、その他もろもろ、きちんと決めておくこと、処理できるものは処理しておくことは、家族への最後の贈り物と言えるかもしれない。
まあ、それはそれとして、ここでは、そういったこの世的な手続きみたいなこと以外の、スピリチュアルな側面からの「終活」について述べてみたい。

晩年の生き方が死後の命運を分ける!?
人間は、生まれてきた以上、いつかは死ぬ。その法則からは誰も逃れられない。となると、いかに死ぬか、ということが非常に重要になってくる。
死ぬ、ということは、言い換えれば、この世からあの世へと旅立つ、ということだ。あの世に還った時に、どんな世界に行くことになるのかは、この世で生きていた時の生き方によって決まる。天国的な、人を幸せにする生き方をした人は、天国へ。地獄的な、人を不幸にする生き方をした人は、地獄へ。その判別は、極めて明確だ。
その意味でも、晩年の生き方は特に重要で、死後の命運を分けると言っても過言ではない。

反省することで罪が軽くなる「魔法」
まず大切なのは、これまでの人生をつらつらと振り返り、一つ一つ反省してみることだ。ああ、あの時に、あの人にこんなことを言ってしまった。あんな失敗をしてしまった──。後悔は尽きないものだが、人生とはありがたいもので、きちんと反省することで、その罪が軽くなっていくという「魔法」が存在するのだ。
傷つけてしまった人、不仲になったままの人がいるならば、できれば直接、難しければ心の中で、心の底から詫びることだ。
どうせもうすぐ死ぬんだから、謝っちゃって楽になったほうがいい──そのぐらいの気楽さでもいいから、騙されたと思って、やってみてほしい。

「生かされていた」自分
次に、同じく、これまでの人生を振り返って、与えられてきたものへの感謝を深めることだ。
この世に産み落としてくれた両親の愛から始まって、学校の先生、友達、職場の仲間、伴侶、子供、孫、近所の人たち、さまざまな人の恩恵を受けて、ここまで生きてきたはずだ。
人だけとは限らない。さまざまな動植物や、水、空気、重力、その他、あらゆるものが自分の人生を支えてくれたことに気づかされる。
それだけではなく、目に見えない守護霊、指導霊、天使や菩薩、神様が、ある時は見守り、ある時はインスピレーションを与え、自分の人生を導いてくれていた。
そこまで思いを致すと、自分が「生きてきた」と思っていたものが、実は「生かされていた」のだと、気づけるかもしれない。

晩年を輝かせる「和顔愛語」
反省、感謝、と来れば、次はいよいよ「与える愛」の実践だ。
晩年を生きる上で大切な心掛けは、「和顔愛語(わげんあいご)」と言われている。穏やかな優しい顔と、温かい言葉、という意味だ。
これまでの人生、いろいろあった。反省してもしきれない──。そう思えば思った分だけ、今接している人、これから接する人、一人一人に対して、優しく接することだ。それが、罪滅ぼしにもなるし、あなたの人生の最後を幸福なものに輝かせることになるだろう。そして、あの世へ旅立ったあとの新たな生活においても、あなたに幸福をもたらすよすがとなるだろう。

魂の幸福につながる生き方を
人は死ねば、肉体を脱ぎ捨てて魂だけになる。だから、人生の晩年において魂の幸福につながる生き方をすることこそ、ほんとうの「終活」と言えるのではないだろうか。(etsu)

参考書籍:『あなたは死んだらどうなるか?──あの世への旅立ちとほんとうの終活──』