本当の「死」の瞬間って?

実はそんなに怖くない「死」
人間にとって、そしてすべての生きとし生けるものにとって、避けることのできない「死」――。のっけから、「縁起でもない」と怒られそうで恐縮だが、人や動植物がいつか死ぬ確率は、どう目をそらしても100%であることは事実だ。「死」が自分の将来に必ず訪れることは分かっていても、普段は、怖いからなるべく考えないようにしている、という人が多いのではないだろうか。
しかし、怖いのは、死んだらどうなるかが分からないからで、実は、それさえ分かってしまえば、対策を立てたり心構えを固めたりすることができ、それほど恐れなくてもよいことになる。だから、死後の世界、霊界について明確に説かれている宗教の教えを、早めに知っておくことが大事だ。
というわけで、ここでは「人間にとって本当の死とは何か」ということについて述べてみたい。

魂が肉体から分離する「本格的な死」
病気、事故、老衰など、死の原因はさまざまだ。通常、心臓が止まった「心臓死」の瞬間を死と認定することが多いだろう。確かに、そこまで行けば生き返ることはほぼないと考えられるため、医学的な死としては一定の妥当性があると言える。
ただ、それは宗教的に見ると、必ずしも「本当の死」とは言えない。なぜなら、肉体と、その中に宿った魂をつなぐ「霊子線」というものが、まだつながった状態だからだ。
心臓死の直後、およそ24時間ぐらいの間、魂は、霊子線のつながった状態で、肉体から出たり入ったりしていることが多い。霊子線とは、「シルバーコード」とも呼ばれ、後頭部から出ている銀色の線で、どこまででも伸びていったり、他の人の霊子線とは絡まったりしないなど、興味深い性質がある。
ともかく、この霊子線がつながっている間は、まだ「本格的な死」とは言えず。この段階では、肉体の感覚は魂にも伝わる。
例えば、真夏だからということで、ご遺体を保冷剤などで冷やしたりしていると、その冷たさを感じたり、極端な例を挙げれば、いろいろな都合で早めに火葬することになった場合、生きながら焼かれるような感覚を覚えることにもなりかねない。そういった場合、死者が「焼かれまい」と必死になり、棺桶をガタガタ言わせるなどの“怪奇現象”を起こしたりすることもある。
それを考えると、あまり早めに火葬するのは問題がありそうだ。昔から、お通夜というものがあり、一日置いてから荼毘(だび)に付すのには、この霊子線が切れるのを待つ必要があるから、というのが大きな理由の一つなのだ。

「脳死」は人の死と言えるのか
さて、人間の本当の死とは、霊子線が切れ、魂が肉体から完全に分離した瞬間であり、それは心臓死からおよそ24時間後であるということを述べた。
実は、人の死とされる瞬間にはもう一つある。「脳死」というものだ。これは、法律上、人の死と認定されている。しかし、実際には、脳死の段階では心臓も止まっておらず、血流があり、体温もある。この状態で、「死んでいる」と捉えるのは、いくら法律でそう決められたとしても、心情的にも受け入れにくいことは事実だ。
実際、脳死状態に陥った女性が、何カ月も生き長らえ、赤ちゃんを出産したという事例すらある。はたして「死体」が子供を産むなどということがあるものだろうか。それはすなわち、実は死んではいなかった、ということになるのではないか。脳死は本当に人の死と言えるのか、大きな疑問が湧く。
脳死が法律で人の死と定められたことには、臓器移植の問題が絡んでくる。心臓などの臓器を移植するには、心臓死を経てからでは遅く、脳死状態で臓器を取り出す必要がある。そのため、便宜上、法律で脳死を人の死と定めた、というのが本当のところだ。
心臓死の段階ですら、魂はまだ、冷たさや熱さなどの肉体感覚を感じるというのに、ましてや脳死状態で、臓器を取り出されるということになったら――。それはあまりにも恐ろしすぎることは想像に難くない。
自分の死後、他の方に臓器を提供したいと考えることは、尊いことかもしれない。ただ、その決断の前に、今述べたような霊的真実があることを知っておいていただきたい。こうした事実を知ることなく、また、死後も魂が生き続けるという基本的な宗教知識もないまま、脳死状態で臓器を取り出されることになれば、驚愕のあまり、霊界へのスムーズな旅立ちが妨げられることになってしまう。
結果、臓器を移植された患者さんに取り憑いてしまうケースも少なくない。移植を受けた人が、急に人格が変わるなどの例が多数報告されるのは、この「憑依」が原因と考えてよい。
以上のような点から、脳死と臓器移植の問題については、もう一度、よくよく考えてみる必要がある。
確かに、臓器移植でしか生き延びられないというケースもあるが、今後、再生医療などがより発達していけば、臓器移植に替わる治療法も開発されるのではないか。その可能性にも期待したい。

安らかな「旅立ち」のために
繰り返すが、人はやがて必ず死ぬ。その時に、穏やかに、安らかに霊界へと旅立てることは、本人にとっても周りの人にとっても幸福であり、人生において極めて重要なことと言える。
そのためには、いたずらに「死」を恐れることなく、人は死んだらどうなるか、死後の世界はどうなっているのかを、宗教の教えを通してあらかじめ学んでおくことが大事なのではないだろうか。(悦)

参考書籍:『永遠の生命の世界──人は死んだらどうなるか──』